United States / 1953 / 未解決
キンロス事件
1953年11月23日、米空軍F-89C 51-5853Aは、操縦士Felix Moncla Jr.中尉とレーダー観測員Robert Wilson少尉を乗せ、スペリオル湖上空のレーダー航跡を識別するためキンロス空軍基地を離陸した。事故報告は、地上管制が迎撃機を誘導し、東部標準時18時55分ごろに二つの反射が合流した後、F-89の反射とIFF信号を失ったとする。別個のカナダ空軍捜索報告は連絡喪失と5日間の捜索不成功を確認するが、衝突や目標同定は確認しない。米空軍は目標をカナダ空軍C-47としたが、後年のカナダ記録に関する主張はその同定を複雑にする。残骸、レーダー生データ、立証された原因はいずれも公開されていない。
公開記録上、この事例は未解決であり、信頼度は B と評価される。
- 資料状況
- 資料は充実
- 主な場所
- Lake Superior
- 出典基盤
- 6 件のリンク記録
- 研究用途
- 比較ケース
キンロス記録が支持すること
ケース資料
機体・乗員・整備記録
行方不明機は第433戦闘迎撃飛行隊のF-89C 51-5853Aで、本拠地Truax Fieldからキンロスへ派遣され防空任務に就いていた。操縦士はFelix Eugene Moncla Jr.中尉、レーダー観測員はRobert L. Wilson少尉。整備記録は7時30分ごろの完全な飛行前点検で不具合なし、昼の1時間飛行を「ok」と記し、夜の離陸前にも異常なしとする。これは有用な運用履歴だが、離陸後の故障を排除できない。 [1] PDF 9–10 · [6]
離陸と管制移管
F-89は東部標準時18時22分(23時22分Z)に防空実任務で離陸した。事故票は当初の航跡をキンロス北西約160マイルの未確認機と記す。最初はGCI局「Naples」が誘導し、18時41分、F-89が高度3万フィートにあるとき「Pillow」が管制を引き継いだ。これらの時刻は後の事故資料に基づき、現存する逐次無線記録ではない。 [1] PDF 5 · [6]
合流前の断続的な無線
管制官Douglas A. Stuartの3ページの供述は短い要約を補う。両局とも当初Avenger Redを聞き取りにくく、局内機器点検では明らかな故障がなく、周波数変更も改善につながらなかった。18時45分頃、Monclaが中止すべきか尋ねると判断は本人に委ねられた。降下中は受信が改善した。その後応答が途切れると、Stuartは機上レーダー員が迎撃を誘導していると推測し、反応合流後も数分間は編隊飛行と考えながら呼びかけた。これは作業上の推測で、確認された操縦室報告や目視報告ではない。 [6]
降下と消えた反応
18時47分、Pillowは迎撃機に高度7000フィートへの降下を指示した。18時51分、Monclaは迎撃のため針路020へ旋回するよう命じられ、目標は11時方向10マイルと伝えられた。事故票は最後の無線連絡を18時52分ごろとし、18時55分ごろに未確認反射とF-89反射が「レーダースコープ上で合流した」と記す。拡張要約では、もう一方の反射は元の針路を続け、F-89反射が消失し、続いてIFF信号も失われた。 [1] PDF 4–5 · [6]
レーダー記述から分かること
レーダーの記述は操作員の報告であり表示そのものではない。Stuartの供述は操作員の説明を補うが、これらの資料に生の航跡、スコープ映像、録音、実測間隔はない。反応の収束だけで衝突、捕獲、物理的距離ゼロを示すことはできない。供述はMonclaの目視捕捉も確認しない。調査官David Collinsが署名したC-47操縦士との会話要約によれば、同機の乗員は迎撃を知らずF-89を見も聞きもしなかった。 [6]
同定されなかった後の声
失踪後の可能性のある通信も不確かである。捜索操縦士William Mingenbachは12月4日の署名供述で、19時35分頃の約5秒の声を自分とレーダー員はMonclaらしいと感じたが、繰り返しの呼びかけに応答はなかったと述べた。UFOBCの委員会証言転記では時刻を19時30分より後、19時50分より前と広げ、声の主を断定できないとも述べる。真正な録音や確認済みの応答は示されない。レーダー途絶後のMonclaの生存も、未知の機体による捕獲も立証しない。 [6] · [7]
気象と運航リスク
スペリオル湖東部の気象は重大な運用上の危険だった。米加報告は、雲底約2000~3000フィート、雲頂約6000~8000フィートの層積雲、視程を1~2マイルに落とす局地的雪、約7000フィートまでの雲中で中程度から強い着氷可能性を記す。迎撃機は連絡終了直前にその高度へ降下していた。気象、着氷、空間識失調、機械故障はいずれも妥当だが、遭難通信、残骸、原因認定がなく、どれか一つを選べない。 [1] PDF 8, 14 · [2] · [6]
カナダの捜索報告
カナダ空軍のSARスコーピオン作戦報告は対応を独立に記録する公式資料である。11月23日22時にカナダ救難調整が通報を受け、無線・レーダー連絡喪失を18時55分、北緯48度00分・西経86度49分付近とする。悪天候でカナダのDakota救難機は翌朝まで出発できず、24日12時15分にキンロスで合同捜索本部が開設された。カナダ空軍、米空軍、米沿岸警備隊、民間航空巡回部隊、警察、州無線網が参加し、2万9600平方マイル、143時間25分を捜索したが痕跡はなかった。活動捜索は28日夜に終了した。 [2] PDF 12–16
1954年に捜索を再開した理由
11月の中断で捜索史が終わったわけではない。第49航空救難飛行隊の1954年5月28日報告は、Wilsonの父がオンタリオ州Limer付近の低空機報告を伝えた後の再開を記す。時刻が合わず以前除外された情報だが、観察者は後に時刻を誤った可能性を述べた。積雪と悪天候で遅れ、5月13日にSA-16が雪の状態を調べた。報告上の再中断日は5月23日である。修正された手掛かりの再調査であって、失踪F-89の確認済み目撃や残骸発見ではない。 [1] PDF 11
C-47同定をめぐる論争
米空軍要約は相手機をカナダ空軍Dakota C-47 VC-912とし、高度7000フィートでWinnipegからSudburyへ東航し、予定航路の約30マイル南にいたとする。公開されるカナダ側情報は単純ではない。後年のUFOBCページは、カナダ空軍の事件報告もC-47迎撃情報も見つからなかったとする1961年のカナダ空軍書簡とされる文面を転載する。また、情報公開による飛行要約とGerald Fosberg操縦士の手紙が湖を横断したカナダC-47便を確認し、Fosbergは別機を見たか尋ねられたが見なかったと回想した、と報告する。これらはC-47が存在しなかったことを示さない。全資料の公文書画像が添付されないため、VC-912が追跡目標だったか、30マイル逸脱したかも独立に証明しない。 [4] · [6]
空軍分析の判断
追加の空軍特別調査要約には評価もある。迎撃の直前または最中にカナダ水域へ墜落した可能性が高いとし、迎撃手法、通信、整備、操縦士経験は原因ではなさそうだとする。一方、計器飛行条件を原因となり得る要素に挙げる。このF-89の格納式吸気口スクリーンと、それ以前の飛行後に不具合報告がないことにも触れる。これは残骸による立証ではなく調査上の判断である。公式見解の蓋然性を示すが最終故障の連鎖を確定せず、以前の墨消し版を公開記録のすべてと見なすべきではない。 [6]
後年のUFOの物語
Donald Keyhoeの1955年刊『The Flying Saucer Conspiracy』は早期に喪失をUFO物語化し、後年の再話は報告上のレーダー収束を異常物体との遭遇へ変えることが多かった。公式記録が支える結論は狭い。2人と迎撃機がレーダー誘導任務中に消え、大規模捜索が失敗した。原因、反射収束との因果関係、もう一方の反射を作った機体、F-89の墜落地点は確定しない。ゆえにキンロスは目標同定に論争を残す未解決航空機喪失で、非人間機との確認済み遭遇ではない。 [1] PDF 5, 14 · [2] · [5] · [6]
関連する確認方法と記録
タイムライン
- 完全な飛行前点検で不具合なし。後に1時間飛行を完了し「ok」と記録される。
- MonclaとWilsonがF-89C 51-5853Aでキンロスを離陸し未確認航跡の識別へ向かう。
- 迎撃機が3万フィートにある間に管制がNaples GCIからPillow GCIへ移る。
- PillowはF-89に7000フィートへ降下を指示。気象報告ではその高度に雲と着氷可能性がある。
- Monclaは迎撃針路020を指示され、目標は11時方向10マイルと報告される。
- 最後の無線連絡。事故報告は反射がスコープ上で合流し、F-89反射とIFFが消え、もう一方は継続したとする。
- 悪天候でカナダ救難機が遅れた後、キンロスに合同捜索本部が開設される。
- 2万9600平方マイルを捜索して痕跡なく、カナダ空軍捜索責任者が米空軍同意のもと活動捜索を停止する。
- Ontario州Limer付近の低空機情報で捜索を再開。報告は時刻不一致を記し、発見なく再停止する。
- Keyhoe『The Flying Saucer Conspiracy』と後年の再話が消失をUFO遭遇として描き、公式記録の立証範囲を超える。
キンロス事件の質問
キンロス事件で何が起きましたか?
米空軍F-89Cがスペリオル湖上空の航跡識別へ離陸し、約33分後に地上管制が無線、レーダー、IFFを失った。機体と2名は未発見である。
乗員と行方不明機は誰・何でしたか?
操縦士Felix Eugene Moncla Jr.中尉とレーダー観測員Robert L. Wilson少尉が第433戦闘迎撃飛行隊F-89C 51-5853Aに搭乗していた。
二つのレーダー反射は合流しましたか?
米空軍事故報告は18時55分ごろ反射がスコープ上で合流したと明記する。報告文言の確かな証拠だが、生データなしに物理衝突、接触、正確な間隔は確定できない。
目標はカナダ空軍C-47でしたか?
米空軍報告はWinnipeg-Sudbury便C-47 VC-912とするが、カナダ捜索報告は確認しない。後年の書簡・飛行記録説は論争を示すが、どの機体が反射を作ったか決着しない。
残骸は見つかりましたか?
採用公式記録に確認済み残骸や痕跡はない。1953年捜索は11月28日に終了し、1954年の再捜索も発見なく終わった。
記録はUFOが消失原因だと証明しますか?
いいえ。原因は未確定だが、採用資料に目視UFO、異常性能、回収物、通常航空故障を排除する計器データはない。UFO枠組みはKeyhoeの1955年刊を代表とする後年の再話に属する。
出典
- [1] アーカイブカナダ空軍SARスコーピオン作戦捜索報告、1953年12月18日(転記)Royal Canadian Air Force / CUFON transcript via MIBSAR
- [2] 公式ファイル米国国立公文書館のブルーブック記録案内U.S. National Archives and Records Administration
- [3] 研究資料キンロスの目標同定記録と後年のカナダ側論争UFOBC / Gord Heath
- [4] 研究資料後年のキンロス調査とUFO再話索引UFOBC / Gord Heath
- [5] アーカイブ米空軍キンロス調査:原文書画像U.S. Air Force records / UFOBC access copies
- [6] アーカイブWilliam Mingenbach:供述と委員会証言の転記U.S. Air Force records / UFOBC access copies
表示画像は本サイト作成の文書表紙で、機体番号、時刻、捜索結果は採用公式記録の要約である。線はレーダー航跡、飛行経路再現、事件写真、未確認目標の描写ではない。旧Moncla肖像は再利用権が確認されないため推奨しない。
