国別ドシエ

アメリカ合衆国の UFO/UAP 事例:目撃報告、公式資料、証拠の整理

アメリカ合衆国には、このアーカイブで 56 件の UFO/UAP 事例が記録されており、期間は 1942 年から 2024 年までです。このページでは国別記録をまとめ、完全なドシエを開く前に、事例の日付、証拠タイプ、公式背景、代表的な報告を比較できるようにしています。

アーカイブ概要

アメリカ合衆国

事例数
56
期間
1942-2024
主な証拠タイプ
目撃報告 / 公式記録 / 画像・映像資料 / 航空上の背景 / 軍事上の背景
代表的な事例
2024年アメリカのドローン目撃事件2024年末、ニュージャージー州と米国北東部で相次いだドローンや異常な光の報告は、連邦調査、飛行制限、社会的懸念を引き起こした。当局は、多くの報告が合法的なドローン、航空機、恒星、惑星と一致すると説明した一方、機密施設付近で確認されたドローン活動は実際の空域安全問題だとした。本資料は、確認済みの出来事と拡散した主張を分けて扱う。2023年エグリン空軍基地UAP事例2023年1月26日、米軍パイロットがエグリン空軍基地付近で高度約16,000~18,000フィートの四つのレーダー目標を探知した。その後、目視できたのは一つだけで、電気光学と赤外線の静止画像を各1枚取得した。録画装置は事前から故障しており、事件映像は存在しない。AAROは、報告された挙動、視線幾何、風と太陽の条件、商業用照明気球との比較試験に基づき、撮影対象を軽航空機である可能性が非常に高いと中程度の確信度で評価した。他の三つには画像がなく分析できなかった。接近中のレーダー回路遮断器の作動は同じ機体で以前にも繰り返されており、公開記録は故障を対象に帰属させる根拠を示さない。2023年北米高高度物体撃墜事件2023年2月10~12日、中国監視気球事件後に北米防空の監視が強化される中、北米航空宇宙防衛司令部が対象を探知し、米軍戦闘機がアラスカ北部、カナダのユーコン、ヒューロン湖上空で三物体を撃墜した。アラスカとユーコンの物体は約4万フィート、ヒューロン湖の物体は約2万フィートを飛行した。正体不明で民間航空高度にあったため、当局は航空安全上の危険と監視リスクの可能性を考慮した。三物体の残骸は回収されず、公開された物理検査で機種や所有者が確定した例はない。ジョー・バイデン大統領は、情報機関が民間企業、娯楽、研究活動に関係する気球を最も可能性の高い説明と評価し、中国の監視気球計画や他国の監視機との関連を示す証拠はないと述べた。防空作戦としては十分記録されているが、個々の正体は公開記録上未確認である。ロサンゼルスの「ジェットパック人物」報告ロサンゼルスの「ジェットパック人物」は、追跡された一つの連続物体ではなく別々の航空報告である。2020年8月30日、進入中の乗員が滑走路25Rの約10マイル・ファイナル、高度約3,000フィートで人型物体を報告。10月14日にはチャイナエアライン乗員がCulver City付近、高度約6,000~6,500フィートで光る物体を短時間見た。2021年7月28日にはKalitta Air機長一人がLAXの東約15マイル、高度5,000フィートで赤みのある人間大の物体を報告した。FAAのレーダー確認に明瞭な航跡はなく、公開FBI資料も操縦者や装置を特定していない。LAPDヘリは別にCentury City北方でJack Skellington型の気球を撮影したが、気球説を妥当にするだけで、日時・場所の違う全報告を解決しない。

完全な事例一覧

アメリカ合衆国

56 / 56
2024年アメリカのドローン目撃事件2024年末、ニュージャージー州と米国北東部で相次いだドローンや異常な光の報告は、連邦調査、飛行制限、社会的懸念を引き起こした。当局は、多くの報告が合法的なドローン、航空機、恒星、惑星と一致すると説明した一方、機密施設付近で確認されたドローン活動は実際の空域安全問題だとした。本資料は、確認済みの出来事と拡散した主張を分けて扱う。United StatesGrade B / DISPUTED2023年エグリン空軍基地UAP事例2023年1月26日、米軍パイロットがエグリン空軍基地付近で高度約16,000~18,000フィートの四つのレーダー目標を探知した。その後、目視できたのは一つだけで、電気光学と赤外線の静止画像を各1枚取得した。録画装置は事前から故障しており、事件映像は存在しない。AAROは、報告された挙動、視線幾何、風と太陽の条件、商業用照明気球との比較試験に基づき、撮影対象を軽航空機である可能性が非常に高いと中程度の確信度で評価した。他の三つには画像がなく分析できなかった。接近中のレーダー回路遮断器の作動は同じ機体で以前にも繰り返されており、公開記録は故障を対象に帰属させる根拠を示さない。United StatesGrade A / EXPLAINED2023年北米高高度物体撃墜事件2023年2月10~12日、中国監視気球事件後に北米防空の監視が強化される中、北米航空宇宙防衛司令部が対象を探知し、米軍戦闘機がアラスカ北部、カナダのユーコン、ヒューロン湖上空で三物体を撃墜した。アラスカとユーコンの物体は約4万フィート、ヒューロン湖の物体は約2万フィートを飛行した。正体不明で民間航空高度にあったため、当局は航空安全上の危険と監視リスクの可能性を考慮した。三物体の残骸は回収されず、公開された物理検査で機種や所有者が確定した例はない。ジョー・バイデン大統領は、情報機関が民間企業、娯楽、研究活動に関係する気球を最も可能性の高い説明と評価し、中国の監視気球計画や他国の監視機との関連を示す証拠はないと述べた。防空作戦としては十分記録されているが、個々の正体は公開記録上未確認である。United StatesGrade B / EXPLAINEDロサンゼルスの「ジェットパック人物」報告ロサンゼルスの「ジェットパック人物」は、追跡された一つの連続物体ではなく別々の航空報告である。2020年8月30日、進入中の乗員が滑走路25Rの約10マイル・ファイナル、高度約3,000フィートで人型物体を報告。10月14日にはチャイナエアライン乗員がCulver City付近、高度約6,000~6,500フィートで光る物体を短時間見た。2021年7月28日にはKalitta Air機長一人がLAXの東約15マイル、高度5,000フィートで赤みのある人間大の物体を報告した。FAAのレーダー確認に明瞭な航跡はなく、公開FBI資料も操縦者や装置を特定していない。LAPDヘリは別にCentury City北方でJack Skellington型の気球を撮影したが、気球説を妥当にするだけで、日時・場所の違う全報告を解決しない。United StatesGrade C / DISPUTED2019年USS Omaha球形UAP映像2021年5月に公開された短い白黒映像には、海上の地平線付近に小さな丸い対象が映り、艦上要員が追跡し、消失時に一人が「splash」と発声する。映像作家Jeremy Corbellは2019年7月15日のUSS Omaha映像と説明した。国防総省報道官Susan Goughは、海軍要員が撮影しUAP Task Forceが継続審査に含めたことを確認した。ただし艦名、日付、正確な場所、寸法、速度、入水、水中継続は公式に検証されていない。後の海軍FOIA回答では、Omahaの2019年7月1-18日の保存ログと音声記録が利用できず、主張された日付との公開照合ができない。海軍撮影の未解決観測記録ではあるが、「領域横断球体」という強い解釈は未証明である。United StatesGrade B / UNRESOLVED2015年Gimbal UAP映像2015年1月、米海軍F/A-18のセンサーが東海岸訓練中にGimbalと呼ばれる34秒の赤外線映像を記録した。公式映像は真正で、暖かいが輪郭不明瞭な対象が回転するように見え、乗員音声は複数物体に言及する。公開資料には主張されたレーダー表示、原メタデータ、正確な距離、完全な任務記録、全長映像がない。独立再構成は主に仮定距離で結論が変わり、近距離なら異常な経路、遠距離なら通常航空機と赤外線グレアが短い映像に適合し得る。公式公開記録は物体を同定せず異常性能も検証していないため、異常技術の証拠ではなく未解決事例である。United StatesGrade A / UNRESOLVED2015年GoFast UAP映像2015年1月、米海軍のF/A-18Fがフロリダ東方の大西洋上で前方監視赤外線センサーにより小さな円形物体を記録した。真正な34秒のGoFast映像は海面すれすれを高速で飛ぶように見える。NASAは2023年に高度約13,000フィート、速度約40mphと計算し、AAROの2025年モデルは風を除いた速度を5-92mphとし、異常性能はないと高い確信で判断した。見かけの速さの多くは運動視差で説明できる。公開映像では物体を同定できず、AAROには原ファイル、機体の正確な位置・針路、乗員証言もなかった。したがってGoFastは、正体不明の物体に結び付いた性能主張が解決された事例であり、異常技術の証拠ではない。United StatesGrade A / EXPLAINEDモリスタウンUFO捏造事件モリスタウン事件は、未解明の空中現象ではなく、意図的な捏造と確認されている。Joe RudyとChris Russoは2009年1月5日、26日、29日、2月7日、17日の5夜、ニュージャージー州モリス郡周辺で赤い光を演出した。本人たちが公表した一人称記録によれば、道路用発炎筒をヘリウム風船で浮かせ、準備と放球を撮影し、報道機関に連絡し、ときには自ら目撃者として登場した。住民や運転者は実際に光を見ており、欺かれたのは原因と、調査者や報道に与えられた情報である。最初の事案後、警察は発炎筒と風船を疑った。より大規模な最後の表示は通報と交通の混乱を再び招き、2月18~19日に報じられた検察当局の調査につながった。RudyとRussoは4月1日に責任を認めた。同時代報道では、その後、治安紊乱行為について有罪を認め、各250ドルの罰金と50時間の社会奉仕を科された。本人たちの記録、反復した事案の時系列、法的処分が説明を強く裏づける。ただし、FAAの原通知、事件記録、911通報記録、レーダー記録、裁判記録は確認できず、一度に上がった最多の光の数も報道間で一致しない。United StatesGrade A / EXPLAINEDスティーブンビルUFO目撃事件2008年1月8日夜、Stephenville、Dublin、Erath郡農村部の住民は明るい光を報告し、一部は非常に大きく無音で構造を持つ物体を述べた。同時代のAP報道はパイロット兼事業主Steve Allen、Ricky Sorrells、警察官Lee Roy Gaitanを実名で挙げるが、描写、場所、時刻は一つの同時観察を構成しない。APの「数十人」は数週間に複数の町から出た報告を指し、1月8日に同一物体を同時に見た確認人数ではない。米空軍は当初、基地所属機の関与を否定したが、1月23日に訂正し、第457戦闘飛行隊のF-16十機が18時から20時にBrownwood軍事作戦区域で訓練したと発表した。この訂正は重なる軍事活動を確立するが、報告されたすべての光を同定しない。後のMUFON研究は16時から20時のFAA由来データを五つのレーダーサイトから分析し、目撃方向との対応を試みた。高速例は疎らな一次反射、推定時刻、別々の点を同じ目標とみなす仮定に依存し、報告自体も偶然とレーダー誤差の可能性を記す。公開されたFAA・軍の所見に単一の異常航空機の確認はなく、1月8日の認証済み写真・映像もない。したがってB / DISPUTEDを維持する。United StatesGrade B / DISPUTED2006年シカゴ・オヘア空港UFO目撃2006年11月7日午後、複数のユナイテッド航空職員がシカゴ・オヘア国際空港コンコースC上空の無灯火の灰色円盤状物体を報告した。監督者がFAA管制塔へ電話した記録と後のFOIA音声は報告が航空通信に入ったことを示す。管制官は目視せず、FAAはレーダーに異常がなく気象または低い雲への照明を示唆した。認証済み写真・動画はなく、原因は特定できない。United StatesGrade B / UNRESOLVED2004年ニミッツ「チックタック」UAP遭遇事件2004年11月14日、USS Nimitz空母打撃群と行動していた海軍飛行士は、南カリフォルニア沖の乱れた海面上に白く翼のない楕円形物体を見たと報告した。後続の搭乗員はFLIR1として知られる赤外線映像を記録した。国防総省は2020年にこの海軍映像を正式公開し、映像の現象は未確認のままだとした。具名証言と映像の来歴はUAP事例として強いが、公開資料には速度、距離、加速度を検証する完全なレーダー航跡、任務データ、センサー幾何がない。事例は未解決であり、公式映像は地球外・非人間起源を示さない。United StatesGrade A / UNRESOLVED1997年フェニックス・ライツ事件フェニックス・ライツは1997年3月13日に実際に生じた一連の報告だが、一般的な物語は二つの別事件を混同しがちである。午後8時ごろから8時45分ごろ、アリゾナ各地で移動する光が報告され、一部は巨大なV字形機体と解釈された。午後10時ごろにはフェニックス南西の静止光が撮影された。同時代報道は後者を、メリーランド州空軍州兵A-10がSierra Estrella背後の訓練区域で投下したパラシュート照明弾と結び付ける。望遠鏡観察と操縦士証言は、早い編隊について航空機を有力説明とするが、全報告を再構成する完全な公開レーダー・管制記録はない。地球外機を示す公開証拠はない。United StatesGrade B / EXPLAINEDガルフブリーズUFO事件Gulf Breeze事件は、建築業者Ed Waltersが1987年11月11日にFloridaの自宅外で発光物体を撮影したという主張から始まった。カラー即席写真5枚と匿名書簡が11月16日にGulf Breeze Sentinelへ届き、同紙は19日に写真を掲載、その後ほかの住民も光や物体を報告した。MUFONが調査し一部分析者はWaltersを支持したが、CUFOSとJet Propulsion LaboratoryのRobert Nathanは二重露光と整合する特徴を指摘した。1990年6月、旧宅屋根裏で写真の形に似た発泡材と紙の模型が見つかり、新聞社の実験は似た像を作れた。Waltersは製作を否定し、置かれたものだと述べた。公開記録が確立するのは大きな地域報道・写真論争であり、異常な実在機の確認ではない。United StatesGrade C / DISPUTED日本航空1628便UFO遭遇事件日本航空貨物便1628はレイキャヴィークからアンカレッジへ飛行中、寺内謙寿機長、副操縦士Takanori Tamefuji、航空機関士Yoshio Tsukudaが異常な光を報告した。寺内は後に二つの発光物体と巨大な暗い「母船」を描写したが、他の二人が裏付けたのは光であり、巨大機の詳細ではない。アンカレッジ管制は針路・高度変更を認め、エルメンドルフ軍用レーダーセンターへ照会し、近隣機を誘導した。現存FAA資料には面談、無線交信、管制官供述、レーダー印字、再現画面がある一方、フェアバンクス・レーダー、United 69便、米空軍C-130の確認失敗も記録される。FAA専門家は保存された二重目標を747の分離反射とし、Philip Klassは目視の各段階に氷晶・雲の効果と木星を提案した。これらは妥当な候補だが全詳細を再現しない。慎重な結論は、未解決の知覚を含む記録済み航空報告であり、異常技術の確認ではない。United StatesGrade B / DISPUTEDハドソン・バレーUFO目撃波ハドソン・バレーUFO目撃波は一度の遭遇ではなく、ニューヨーク州Westchester、Putnam、Dutchess各郡と隣接するコネティカット州西部にまたがる、変化する夜間光報告群だった。同時代報道で最もよく記録される中心期間は1983年3月から1984年夏で、後年の書籍Night Siegeは公的な物語を1986年まで広げた。目撃者は白・赤・緑の光がV字、ブーメラン、円形に並び、非常に大きく、遅く、静かに見えたと述べた。ニューヨーク州警察のKenneth V. Spiro巡査部長はThe New York Timesに、州警察官が一件をStormville空港まで追跡し、5、6機の小型機が一緒に飛んでいたと説明した。同時代のDiscover記事も地元パイロットの昼夜編隊練習と1984年9月のFAA検査を報じた。これらは多くの表示を小型機編隊で説明する強い資料だが、全報告を特定便に対応させない。統合警察資料、飛行記録、無線録音、レーダー図、FAA最終報告、真正性を確認した事件原画像は見つからない。件数も互換性がなく、民間ホットラインは600件超、調査者は約900枚の用紙を挙げ、さらに大きい数千人という推計には公表された算定法がない。有名なBob Pozzuoli映像は後年資料で1984年6月と7月に日付が分かれ、原テープ、メタデータ、管理記録も公開されていない。したがってB / DISPUTEDは、豊富な同時代記録と強く裏づけられた通常機構を評価しつつ、個別同定の限界を残す。United StatesGrade B / DISPUTED1980年キャッシュ=ランドラムUFO事件1980年12月29日夜、Betty Cash、Vickie Landrum、7歳のColby Landrumは、テキサス州New CaneyとHuffmanの間を通るFarm to Market Road 1485で、強い光と炎を放つ物体が道路を塞ぐか路肩近くに浮いていたと述べた。後に多数の双ローター・ヘリコプターと遭遇後の疾病も報告した。1981年の録音面接、空軍が公開した請求・訴訟資料、当時の報道は、3人が主張を行い補償を求めた事実を示す。公開記録は、物体、ヘリコプター編隊、電離放射線被曝、または政府による機体所有を独立には確認していない。United StatesGrade C / DISPUTEDヴァル・ジョンソン事件Marshall County副保安官Val Johnsonは、1979年8月27日午前1時40分ごろ、Minnesota Highway 220の低い位置に輪郭の明瞭な光を見たと報告した。近づくと閃光とガラス音を覚え、次に気づいた時には説明できない時間を経て車が道路を横切って止まっていた。救援者は負傷したJohnsonと、割れたフロントガラス、損傷した灯火、小さなボンネットのへこみ、曲がった二本の警察無線アンテナを持つ1977 Ford LTDを確認した。彼は後に機械式腕時計と車内時計がともに14分遅れていたと述べた。これは記録された申告と残存損傷であり、機体や時間変化の証明ではない。保安官事務所と民間のCenter for UFO Studiesが調査したが、公開され再現可能な報告は単一原因を確定しなかった。球電、路上の破片・事故、意図的損傷、未同定の通常事象が論争中の可能性であり、慎重な分類はC / DISPUTEDである。United StatesGrade C / DISPUTED1976年キャノン空軍基地UFO報告キャノン空軍基地事件で最も強い記録は、1976年1月21日06時30分(EST)付の国家軍事指揮センター覚書である。覚書によれば、空軍作戦センターは05時55分、基地の飛行線付近に2つのUFOがいるとの報告を受けた。警備警察は各物体を直径約25ヤードと見積もり、金色または銀色、上部に青い光、中央に穴、下部に赤い光があると説明したという。空軍はレーダーと気象逆転のデータを確認中とされたが、公開資料にはその結果、観察者名、継続時間、高度、動き、最終同定がない。後年の地元報道と2004年の匿名証言は物語を広げたものの、同時代の覚書と同じ証拠層には置けない。したがって本アーカイブは、中程度の文書価値はあるが異常な起源は立証されていない「資料不足」の事例として扱う。United StatesGrade C / INSUFFICIENT DATA1975年ローリング空軍基地UFO侵入事件1975年10月27日から11月1日にかけて、メイン州ローリング空軍基地は兵器保管区域付近の複数報告を空域警備事案として扱った。国家軍事指揮センター記録は、高度約150フィートの未確認航空機またはヘリコプター、接触できなかった複数の捜索飛行、カナダおよび米国警察機関との調整、さらに後日のRAPCON低速目標を記す。操縦者や機種は特定されていない。詳細な管制塔・目撃者主張の一部は後年の再構成にのみ残り、検証済みの事件写真、映像、生レーダープロット、回収物も公開されていない。したがって本件は記録の厚い未解決侵入であり、地球外機の証拠ではない。United StatesGrade B / UNRESOLVEDトラヴィス・ウォルトン誘拐事件公開記録が支える範囲は、有名な宇宙人誘拐物語より狭い。1975年11月5日、班長マイク・ロジャースと同僚5人はトラヴィス・ウォルトンの行方不明を届け、6人全員が林道付近の発光物体と彼を打つ光を見たと述べた。ナバホ郡当局は負傷者または殺人被害者の可能性として捜索した。ウォルトンは11月10日深夜から11日未明に戻り、後に飛行物体内部の存在と部屋を語った。同僚のポリグラフ結果は彼らの信念と失踪への関与を扱ったもので、外部宇宙船の存在を確立しない。船内談に独立検証できる認証写真、映像、音声、レーダー、医学所見、回収痕跡はない。よって本件はC/争点ありで、確認済み誘拐でも確証済み捏造でもない。United StatesGrade C / DISPUTEDワートスミス空軍基地UFO事件1975年10月30日夜、UTCでは31日、ミシガン州のワートスミス空軍基地で警備要員が車両整備区域と兵器保管区域付近の未確認低空飛行機を報告した。当初のOPREP-3は灯火のないホバリング中のヘリコプターとしたが、東部標準時00時30分の訂正はホバリングはなかったと明記し、RAPCONに複数機が映ったと記した。調査にはKC-135空中給油機が出動した。乗員は灯火を点け約150ノットで南東へ進む航空機を目視し、レーダーの「スキン・ペイント」を得たと報告した。別の灯火機が加わったように見え、双方の灯火が消え、やがてヒューロン湖方面で接触を失った。文書が確立するのは実際の警備・飛行対応であり、異常機の同定ではない。兵器への影響、着陸、損害、測定された高性能機動は記録されない。実名や詳しい証言は主に1979年の部隊史再構成に由来し、2012年の昼間の円盤談はさらに遅い未裏付け証言である。通常のヘリコプターや航空機、または複数の普通の航空機を誤って一連の対象と結びつけた可能性は残るが、公開記録に確定同定はない。本件はB評価・論争中のままである。United StatesGrade B / DISPUTED1973年パスカグーラUFO遭遇事件パスカグーラ事件は、異常な個人体験が当夜に届け出られたことを示す記録であり、地球外誘拐が記録された事件ではない。1973年10月11日、42歳のCharles Hicksonと19歳のCalvin Parkerは、パスカグーラ川沿いの釣り場でロボットのような存在に連れ去られたとJackson Countyの警官に話した。警官は二人だけにした後も秘密録音を続け、会話は観客がいない状況でも動揺し、主張を話し続けたことを示す。しかし存在、機体、原因は検証しない。事件時の認証済み写真、映像、レーダー航跡、物理痕跡、政府結論はない。United StatesGrade C / DISPUTEDコイン・ヘリコプター事件コロンバスからクリーブランドへの練成飛行で、陸軍予備役UH-1H 68-15444には機長Lawrence Coyne大尉、副操縦士Arrigo Jezzi少尉、クルーチーフRobert Yanacsek二等軍曹、航空衛生兵John Healey二等軍曹が搭乗した。署名済み陸軍処理書式は、遭遇を1973年10月18日23時05分、オハイオ州マンスフィールド付近、高度2,500フィート、針路030とする。高速で収束するように見えた赤い光、約1,700フィートまでの降下、マンスフィールド管制塔の一度の応答と航空機照会への無回答、コレクティブ全下げ時の3,500フィート表示を記録する。雪巻き形、緑の光線、回転するコンパス、全面的な無線故障は書式にない。それらは翌日の証言、初期新聞、1978年のCoyne国連陳述に現れ、4人の説明には重要な差がある。地上の家族証人は1976年の新聞募集後に見つかった。公開レーダー航跡、管制録音、飛行記録、整備分析、認証済み事件画像はない。航空機、オリオン座流星、衝突回避時の操縦反応はいずれも未検証である。よってB/未解決を維持するが、公開記録上の未同定は異常起源の立証ではない。United StatesGrade B / UNRESOLVEDフォークビル・メタルマン確実な歴史的核心は狭い。Greenhawは1973年10月17日に報告し、The Decatur Dailyが翌日掲載、光る人間大の姿を写した4枚のPolaroidが流通した。遭遇内容のほぼ全ては本人証言である。後年の調査者は防火服またはアルミ箔を着た人物とし、匿名未成年者の告白を引用したが供述は公開されていない。原版は1973年11月の火災で焼失した説と1983年に盗難された説が衝突し、写真来歴は途切れる。D/DISPUTEDを維持し、悪戯が異常存在より妥当だが公開記録で完全には立証されない。United StatesGrade D / DISPUTED1968年マイノット空軍基地UFO事件1968年10月24日未明、マイノット周辺のミサイル班が変化・移動する光を報告し、その間B-52は地域訓練を行っていた。機体は後に気象レーダー反射を記録し、UHF送信を一時喪失してスコープを撮影したが、主要レーダー区間で乗員は反射を目視していない。その後、別の橙色光目撃とOscar 7警備警報が続いた。Project Blue Bookは星、B-52、地上光、可能性としてのプラズマを別々の部分に当てたが表現は暫定的で、公開資料には一つの完全再構成を証明する同期原データが不足する。United StatesGrade B / UNRESOLVEDマルムストローム・ミサイルUFO報告マルムストローム事件は二つの異なる記録から成る。第341戦略ミサイル航空団の同時代史料は、1967年3月16日08時45分MSTにEcho Flightの10発射施設すべてが戦略警戒を失ったと記す。技術者は調査し、電気パルス注入で該当No-Go表示を再現し、後にパルス保護を追加したが、公開史料は最初の擾乱源を特定しない。同じ史料は、故障時のEcho付近のUFO噂は移動警備隊により否定され、現地レーダーにも異常がなかったとする。別のProject Blue Book資料は3月24-25日のBeltとGreat Falls周辺の未確認物体報告を記すが、7月の回答はその目撃期間に装置異常を知らないとする。Robert Salasの話は数十年後に公表され、3月16日のNovember Flightから3月24日のOscar Flightへ変わり、警備員の目撃後に別の10基停止があったと主張する。公開された同時代Oscar運用ログ、署名警備員供述、レーダー、写真、技術報告は見つからない。Echo故障はよく文書化されるが、UFOがEchoまたはOscarを停止させたことは文書化されない。本件はB評価・論争中である。United StatesGrade B / DISPUTED1966年ポーテージ郡UFO追跡事件1966年4月17日の夜明け前、ポーテージ郡副保安官Dale F. Spaurと補助副保安官Wilbur L. “Barney” Neffは、オハイオ州Atwater付近のU.S. Route 224で明るい物体がパトカー近くから上昇したと報告した。2人は東へ追い、East Palestine巡査Wayne Hustonが別の巡視車で加わり、終点のペンシルベニア州ではConway巡査Frank Panzanellaが遠方の光を報告した。同時代資料の経路はOhio Route 14、Pennsylvania Routes 51・65で、道路距離約80~86マイルである。Mantua警察署長Gerald F. Buchertは別個に観察し、白黒フィルムを撮影した。Project Blue Bookは照合レーダーに目標なし、原因となる気球放球なし、Youngstown迎撃機の発進なしとし、Buchertネガの像を現像欠陥と判定して、衛星から金星へ視線が移ったと説明した。ファイルには一致衛星の計算も、警官が述べた低高度幾何を証明する測定もない。実名証言と公式対応はよく記録されるが、光の正体と連続性は論争中で、異常起源は確立していない。United StatesGrade B / DISPUTED1965年エクセターUFO事件1965年9月3日未明、18歳のNorman Muscarelloは、ニューハンプシャー州エクセター南方の州道150号線付近で五つの明るい赤色光が低く動くのを報告した。警官Eugene Bertrand Jr.が現場へ戻って同様の点滅列を目撃し、後から到着した警官David Huntも赤色光を報告した。署名付き陳述と131ページのProject Blue Book事件ファイルが報告と空軍調査を記録する。最終分類は未確認だが、真正な事件写真、映像、レーダー記録、物理痕跡は公開されていない。先行するB-47飛行と後年のKC-97空中給油機説は通常航空の文脈を与えるものの、核心時刻・場所の特定機を確定していない。United StatesGrade B / DISPUTED1965年ケックスバーグUFO事件1965年12月9日、明るい火球がカナダの一部と米国北東部を横切った。ペンシルベニア州ケックスバーグ付近では、発光物体が森へ降下し、地上にドングリ形物体があり、軍が搬出したと一部住民が後に述べた。同時代のProject Blue Book事件簿は、州警察と地元捜索隊が物体を発見せず、午前2時ごろ捜索を終了したと記す。別の覚書はボライドまたは隕石を有力とした。地域火球の科学的復元も自然な流星現象を支持する。着陸・回収説には、真正な事件写真、物証、レーダー記録、目録、公開された保管連鎖がなく、争われたままである。NASAをめぐる後年のFOIA訴訟は文書検索の十分性を問うもので、回収物体の保有を確認したものではない。United StatesGrade C / DISPUTED1964年ソコロUFO事件:ロニー・ザモラとブルーブック記録1964年4月24日、ソコロ警察官ロニー・ザモラは轟音と青橙色の炎を見て速度違反車の追跡を中止した。滑らかで淡色の楕円形物体に近づき、そばの白い服の二人を短時間見て、物体が上昇して南西へ去るのを目撃したという。M・S・チャベス巡査部長は約3分後に到着し、新しいように見えるくぼみと焦げた植生を見たが、物体は見ていない。空軍は現場を記録し、土壌と植物を検査し、航空機、気球、軍事活動を照合して報告を未確認のまま残した。記録は迅速な警察報告と実際の調査を示すが、真正な事件映像、レーダー航跡、異常残留物、第二の近距離目撃者がなく、地球外機を立証しない。United StatesGrade B / UNRESOLVEDRed Bluffプロジェクト・ブルーブックUFO事例1960年8月13日23時45分ごろ、California Highway PatrolのCharles A. CarsonとStanley E. Scottは、Red Bluff南方のCorning付近で無音の発光体を見て、約2時間にわたり東へ光を追ったと報告した。空軍ファイルは地元警官や後続目撃も要約するが、レーダー照会記録は未識別目標を認めない。Air Technical Intelligence Center(ATIC)は8月12~20日の一群を逆転層に伴う屈折と結論し、警官の件では火星を最有力光源とした。ただし遠隔地の気象観測を用い、報告された位置関係や動きを定量再現していないため、公式説明は記録されているが完全に実証されてはいない。警察報告と公式調査は確認できるが、異常な機体は立証されない。United StatesGrade B / DISPUTED1957年RB-47レーダー・目視UFO事件1957年7月17日未明、RB-47H電子偵察機の乗員は、ミシシッピからルイジアナ、テキサスへ飛行中に明るい光とレーダー状の放射を連続して報告した。同時代の空軍要約はフォートワース付近の短い地上レーダー接触も記す。公式電文と乗員質問票が残るため単独目撃より強いが、異常起源の証明ではなく未解決である。生レーダーフィルム、連続電子記録、真正な対象写真は公開されていない。United StatesGrade B / UNRESOLVEDカートランド空軍基地UFO目撃事件1957年11月4日22時45分ごろから23時05分(MST)まで、民間航空局の管制官R. M. KaserとE. G. Brinkは、下面に白い光を持つ暗い縦長の物体がカートランド空軍基地を低空で横切り、雲中へ上昇したと報告した。その後レーダー情報も伝えられたが、検討した公開資料には生のレーダー航跡、録音、写真、特定された航空機は残っていない。空軍とコンドン報告は、強力な小型民間機が滑走路を取り違えて接近し離脱したとの説明を採ったが、James E. McDonaldは後に外形と飛行経路に合わないと論じた。出来事は記録されているが原因は論争中であり、未確認は地球外を意味しない。United StatesGrade B / DISPUTEDレベランドUFO事件レベランド事件は、1957年11月2日から3日の湿った低雲の夜、ホックリー郡周辺の道路で生じた記録付き報告群である。運転者が述べた光や発光体は色、形、継続時間、位置が異なり、複数人は一時的なエンジン、前照灯、ラジオ停止を近くの光に結びつけた。現存資料で最も充実した供述は19歳のテキサス工科大学生への空軍情報部の聞き取りで、電流計が放電を示し、エンジン、灯火、ラジオが止まった後に楕円形の光を見た。4、5分後に光が上昇し、車は再始動した。別の警察関係者は短い赤橙色の光跡だけを報告し、車両故障は述べていない。第1006航空情報業務中隊は気象、航空交通、気球、送電線、油田ガスを確認し、主要5情報源を面接して、当初は未解決として送付した。Project Blue Bookは後に球電または電気的気象効果と分類したが、同じファイルの審査者は球電の理解が不十分で詳細を説明できず、全報告に一つの説明を求める必要もないとした。別に報道されたトラック1台には整備士が通常の配電器故障を確認したが、全車両主張へ一般化できない。真正性確認済み事件写真、レーダー図、計器測定、物理痕跡はない。したがってB / DISPUTEDは、同時代記録は豊富だが原因と人数に未解決の対立があることを示し、地球外技術の証拠ではない。United StatesGrade B / DISPUTEDケリー=ホプキンスヴィル遭遇事件現存記録は1955年8月21日深夜、怯えた一行がホプキンスヴィル警察本部へ到着したところから始まる。同時代Kentucky New Eraはサットン農家に約10人または12人と見積もり、何人が姿を見たと主張したか警官も確定できなかったとした。ビリー・レイ・テイラーは最初の明るい物体を報告し、後にテイラーとセシル「ラッキー」サットンは明るい目の小さな姿を報告、.22口径拳銃と散弾銃を撃って助けを求めた。十数人の警官が午前2時過ぎまで捜索したが、足跡、着陸跡、話を証明・反証するものはなかった。流星・フクロウ説は妥当だが未証明で、C/争点ありのままである。United StatesGrade C / DISPUTED1953年エルズワース空軍基地レーダー・目視報告公開空軍ファイルは、本件を1953年8月5~6日にサウスダコタ州Black Hawk、Rapid City、エルズワース空軍基地周辺で続いた報告と特定する。地上監視隊の通報を受けてレーダー捜索と2回のF-84対応が行われ、操縦士と地上目撃者は明るく色の変わる光を、管制員は多数の反応を報告した。だが重要な限界も残る。レーダースコープ写真は失敗し、ガンカメラ映像は空白、位置の連続照合はなく、操縦士の一人は主要な光を屈折した恒星または惑星かもしれないと記した。Project Blue Bookは調査し、状況報告は追加検討待ちの未解決とした。Edward Ruppeltは後に「最良の未知」と呼んだが、1956年の回想録は同じ話を8月12~13日に移し、現存供述以上に相関を劇的に描いた。1968年のコロラド計画は、逆転層越しの恒星、少なくとも一つの流星、異常伝搬反応、ゴーストエコーの可能性、機上照準器の故障の組合せと分析した。これは有力だが推論である。最も慎重な結論は、解釈が争われるレーダー・目視調査記録であり、異常機の証明ではない。United StatesGrade C / DISPUTEDキンロス事件1953年11月23日、米空軍F-89C 51-5853Aは、操縦士Felix Moncla Jr.中尉とレーダー観測員Robert Wilson少尉を乗せ、スペリオル湖上空のレーダー航跡を識別するためキンロス空軍基地を離陸した。事故報告は、地上管制が迎撃機を誘導し、東部標準時18時55分ごろに二つの反射が合流した後、F-89の反射とIFF信号を失ったとする。別個のカナダ空軍捜索報告は連絡喪失と5日間の捜索不成功を確認するが、衝突や目標同定は確認しない。米空軍は目標をカナダ空軍C-47としたが、後年のカナダ記録に関する主張はその同定を複雑にする。残骸、レーダー生データ、立証された原因はいずれも公開されていない。United StatesGrade B / UNRESOLVED1952年フラットウッズ・モンスター事件フラットウッズ事件には異なる二層の証拠がある。1952年9月12日19時15分ごろ、明るい火球が複数州を横切り、着陸船ではなく流星だったことを強く支持する。その直後、キャスリーン・メイと少年6人はフィッシャー農場方向の丘を登り、懐中電灯と断続的な光の中で目と背の高い姿を見て強い恐怖を覚えたと報告した。United Pressはこの主張と、翌日に臭い、踏み荒らされた地面、二本の滑走痕状の跡を見たという地元新聞人A・リー・スチュワートの話を記録したが、認証された現場写真、標本、検査結果は公開資料に残らない。後年のメンフクロウと航空標識灯の再構成は妥当で複数の視覚特徴を説明するが、再構成である。「説明済み」は強い通常説明を意味し、全細部の法科学的証明ではない。United StatesGrade C / EXPLAINED1952年ワシントンD.C. UFOレーダー事件1952年7月19-20日と26-27日、ワシントン・ナショナル空港およびアンドルーズ空軍基地周辺の航空管制・軍用レーダー要員が断続的な未確認反応を報告し、操縦士と地上観察者も異常な光を述べた。第2週末には迎撃機が発進したが、現存するProject Blue Bookファイルは、全レーダー、目視報告、迎撃を通じて一つの物体が連続追跡されたとは記録していない。記録は強い航空機状反応と後の弱く不安定な反応を区別し、公式迎撃報告や多くの証言詳細が欠ける。空軍は逆転層とレーダー伝搬を重視し、1953年のCivil Aeronautics Administration研究は屈折層が類似の偽目標を生むことを示したが、ワシントン試験は8月観測が中心で7月全報告の再現ではない。歴史的に重要で実在する記録だが、公開資料が裏付けるのは論争中のレーダー・目視事象であり、首都上空の異常航空機の証明ではない。United StatesGrade B / DISPUTEDトレモントンUFOフィルム1952年7月2日、ユタ州トレモントンの北約7マイルで妻が約10~12個の明るい物体に気づき、米海軍の写真要員Delbert C. Newhouseは16ミリ・コダクロームを約30フィート撮影した。フィルムは実在し、空軍の保管下に入り、空軍・海軍の分析者、ロバートソン委員会、後のコロラドUFO研究で検討された。しかし評価は一致しない。海軍研究所は自ら発光する制御物体と判断したが、委員会はその分析を退け、反射とカモメを重視した。1968年、William K. Hartmannは白い鳥と整合するとし、後に鳥と同定した。距離、尺度、較正の欠落、フレーム数の不一致、原版・複製・現代の転送版の関係が不明確なため、それ以上の主張はできない。United StatesGrade B / DISPUTEDナッシュ=フォーテンベリーUFO目撃事件ナッシュ=フォーテンベリー事件は文書化された乗員報告であり、異常な機体の証明ではない。William B. NashとWilliam H. Fortenberryは空軍調査官に、輪郭の明瞭な赤橙色の光6個が南行DC-4の下を横切り、急反転したように見え、さらに2個が加わって上昇し消灯したと述べた。公式一件書類は約12~15秒の観察と即時調査を記す一方、物証なし、機内目撃者は2人だけとも記す。Blue BookはUnknownに分類したが、それは光を同定できなかったという意味で、地球外起源の認定ではない。United StatesGrade B / UNRESOLVED1951年ラボック・ライト事件ラボック・ライト事件には、関連するが必ずしも同一ではない二つの記録がある。1951年8月25日からTexas Technological Collegeの教授らは、青緑色の光の群れが夜空を横切るのを繰り返し報告した。8月31日、学生Carl HartはV字形の光群を撮影した。Project Grudgeの調査員は証人を聴取しネガを検査し、予備分析は修整を認めなかったが光源を同定しなかった。主要観察者William Duckerは後に、教授らが見たものは街灯に下から照らされた渡り雁だったとの研究結論を述べた。この説明は反復する目視観察に最も直接当てはまり、Hart写真を自動的に解決するものではない。United StatesGrade B / DISPUTEDフォート・モンマスUFO事件1951年9月10日と11日、フォート・モンマスで通信隊レーダーを扱っていた整備課程の学生が複数の異常反射を報告した。これとは別に10日11時35分ごろ(EDST)、DoverからMitchel空軍基地へ向かうT-33乗員がSandy Hook付近で丸い銀色物体を見た。Project Grudge Special Report No. 1は連続したレーダー・目視航跡を立証せず、T-33の物体をEvans Signal Laboratoryが放球した二つの気球の一つと「おそらく」判断し、後の二反射を気象気球と同定し、最初のレーダー速度推定を疑問視した。11日13時30分の反射は未確認のままだが、異常伝搬または操作者の予期が原因の可能性があるとした。検証した公開記録には、生航跡、レーダー日誌、スコープ映像、確認済み事件写真、確証ある地上目視観測は残っていない。United StatesGrade B / UNRESOLVED1950年ファーミントンUFOアルマダファーミントンUFOアルマダは、1950年3月中旬にニューメキシコ州ファーミントンで起きた昼間の連続報告である。3月18日付Farmington Daily Timesはその日を3日連続の目撃としたが、後年資料には3月15日から18日という範囲もあり、時系列の端には1日の不確実性がある。実名住民は銀色円盤の編隊と一つの赤い物体が、無音で高速に見える動きをしたと述べた。同時代報道は広範な報告現象の存在を示すが、最大個数や物体の正体は検証しない。真正な事件写真、レーダー図、物理痕跡、事件固有の完全な公式調査は公開記録から見つかっていない。United StatesGrade B / DISPUTED1950年マクミンヴィルUFO写真1950年5月11日、PaulとEvelyn Trentは、オレゴン州SheridanとMcMinnvilleの間にある農場付近で金属的な円盤状物体を見たと述べた。Paulは物体が去る前にロールフィルムカメラで2枚撮影した。原ネガは全国報道に流通し、1967年にコロラド大学計画が発見して直接検査したが、現在の公的な保管先は不明である。ネガには空の小さな暗い物体が写るが、写真だけでは大きさや距離を確定できない。William Hartmannは単純に説明しにくい事例としつつ、捏造の可能性を明確に残した。後年の分析は遠方物体説と架空線付近の小型吊り下げ模型説に分かれる。写真は実際の事件画像だが、被写体の正体は論争中である。United StatesGrade B / DISPUTEDマリアナUFOフィルム(1950年)1950年8月、Great Falls Electricsの監督Nicholas “Nick” Marianaと秘書は球場付近で二つの明るい物体を報告し、MarianaはRevere 16mmカメラ、毎秒16コマで約16秒撮影した。通例の日付は8月15日だが、Colorado Projectは試合日程との矛盾を見つけ、5日か15日かを未確定とした。空軍は1950年に原フィルムを調べ、1952年に再借用して返却した。Marianaは後に、大きく構造的な像を示す冒頭約30~35コマが欠けたと主張した。ファイルは主張と空軍の否定、損傷したパーフォレーション、破断コマ、修理指示を残すが、意図的除去を認める検証済み文書はない。Project Grudgeと1953年Robertson PanelはF-94二機の太陽反射を支持した。Robert M. L. Bakerの1956年測光分析は反射を可能だが無理のある説明とし明確な結論を出さず、William Hartmannの1968年Condon Reportも航空機を排除せず未解明とした。公開ウェブ映像は1956年ドキュメンタリー由来で、未編集原巻ではない。評価はB / DISPUTEDであり、地球外技術の証拠ではない。United StatesGrade B / DISPUTEDクライド・トンボーUFO目撃事件最も資料に支えられた復元では、1949年8月20日、クライド・トンボーはニューメキシコ州ラスクルーセスの自宅庭に妻と義母といた。トンボー本人との通信に基づく1963年の記述によれば、午後10時45分ごろ、天頂付近から南東へ約3秒で横切る、淡い長方形の光6ないし8個を見た。他の2人は通過の一部だけを見た。天文学・光学の経歴は記述を保存する価値を高めるが、距離、高度、物理的正体の欠落を専門性で補うことはできない。真正性の確認された事件写真、センサー記録、同時代新聞記事、公開された空軍原報告は見つからない。トンボーは後に、まれな反射・屈折現象を説明の候補としてより重視したが、実証はされていない。本件は論争のある証言中心の目撃であり、地球外起源の証拠ではない。United StatesGrade C / DISPUTED1948年マンテルUFO事件1948年1月7日、ケンタッキー空軍州兵のThomas F. Mantell Jr.大尉は、Godman Fieldなどで報告された物体を調べるためP-51で上昇し、墜落して死亡した。現存するProject Blue Bookファイルは、塔台の目撃と、前方上空の物体が金属的で非常に大きく見えるというMantellの無線報告を記録するが、レーダー航跡、物体写真、回収物はない。事故資料と空軍の後年分析は、酸素欠乏による意識喪失、その後の高速降下と構造破壊を支持し、物体が機体を攻撃したことを示さない。金星説は検討されたが、昼間の追跡を十分説明できなかった。Edward J. Ruppeltは後に、機密のSkyhook型高高度気球が目撃を最も整合的に説明すると判断した。気球が最有力の通常説明だが、公開記録は特定の打ち上げと航跡を対象に確定していない。United StatesGrade B / EXPLAINEDアズテックUFO事件1948年3月25日にNew Mexico州Aztec近郊で機体が回収されたという件について、同時代の墜落報告、氏名の分かる回収目撃者、軍文書、写真、来歴が記録された物証、真正性確認済み映像は提示されていない。公的物語はFrank Scullyの1949年Varietyコラムと1950年刊Behind the Flying Saucersから広まり、主に石油事業家Silas Newtonと「Dr. Gee」とされた人物(後にLeo GeBauerと判明)の話に依存した。記者J. P. Cahnは「円盤金属」を検査し事業歴を調べ、1952年と1956年のTrue記事で疑わしい石油探知機と被害者に結び付けた。NewtonとGeBauerは1953年、この種の機器を使う信用詐欺で有罪となった。評決は両者の信頼性と商取引に強い意味を持つが、Aztec回収説の各主張を裁定したものではない。1950年のFBI Guy Hottelメモも確認ではない。FBIは、未調査の二次・三次情報によるNew Mexicoの話であり、Aztec物語の反復かは検証できないとしている。本件はD/disputedのままで、出版で増幅され、立証済み詐欺と関係する、出典の弱い墜落回収物語とみるのが妥当である。United StatesGrade D / DISPUTEDゴーマン空中追跡事件1948年10月1日、George GormanはFargo上空で小さな白色灯をF-51で27分追跡したと報告した。他の3人も短時間白色灯を見たが、複雑な全追跡は確認していない。Project Signは当初Gormanを誠実とし通常機と既知の気球を暫定除外したが、1949年1月のAir Weather Service再計算は灯火気球が報告区域に存在し得たとした。写真、レーダー、物体、有意な放射異常はない。気球と知覚効果は有力な通常説明だが、連続追跡の欠落で完全な再現は証明されない。United StatesGrade B / DISPUTEDチルズ=ウィッテッドUFO遭遇事件1948年7月24日02時45分ごろ、同時代ファイルがEastern Standard Timeと記す時刻に、Eastern Air Lines 576便はAlabama州Montgomeryの南西約20~25マイル、高度5,000フィートを飛行していた。Clarence S. Chiles機長とJohn B. Whitted副操縦士は、明るい開口部、下面の青い光、長い赤橙色の排気状炎を伴う翼のない葉巻状の形を報告したが、署名供述とスケッチは距離、継続時間、細部で一致しない。乗客McKelvieが見たのは一瞬の直線的な赤黄の光跡だけで、物理的形状は見ていない。Project Signは軍用飛行と225件の民間・政府運航予定を照合したが該当を得ず、公文書上はunknownとして残った。Project Grudgeの後年の天文学的評価は明るい流星を「可能性は並または低い」説明としたが、実証済みの解決ではない。事件写真、レーダー反応、物的痕跡、測定寸法は残らない。1948年のいわゆるEstimate of the Situationは後年の回想で知られるだけで、AAROは文書を発見も検証もできなかったと報告した。したがって目視報告は未解決だが、地球外機を確立するものではない。United StatesGrade B / UNRESOLVED1947年ロズウェル事件ロズウェル事件は、残骸回収と広報説明の反転が文書で確認できる事件であり、地球外宇宙船の回収が記録された事件ではない。1947年7月8日、Roswell Army Air Fieldは「空飛ぶ円盤」を保有したと発表し、翌日には軽量の気球・レーダー反射材が示された。1995年のGAO調査で確認された1947年作成の政府記録は2点だけで、いずれも気球と整合する。米空軍は後に残骸をProject Mogulと結び、遺体説を1950年代の別活動の記憶混同として扱った。欠落記録のため具体的な気球列の全詳細は証明できないが、同時代の公開文書に宇宙人遺体や地球外物質を支持するものはない。United StatesGrade C / EXPLAINEDウェスト・リンジUFO破片事件1947年7月7日、ニューハンプシャー州ウェスト・リンジのRoute 202沿いにあるEarl Whitehead宅で、人々は煙、小さな焼け跡、点在する草火を認めた。現存記録には落下物や上空の機体を見たとは書かれていない。金属片は地元の人々を経てMIT研究者に渡った。FBIの追跡覚書は、分光分析で非常な高熱を受けた通常の鋳鉄と判定され、測定した4片は機械加工された中空円筒の一部らしいと要約した。正確な発生源、分析原データ、採取から試験までの連続した管理記録はない。初期の直径14インチという概算も8インチへ変更された。MITの照会は機関車・蒸気機関説を退けたとされる一方、ジェット、V-2、誘導弾との比較は推測にとどまった。FBIボストン支局は本部から指示がなければ1947年8月15日後に試料を廃棄するとし、その後を示す公開記録はない。2026年にFBIはNHPRへ該当する後続記録を見つけられないと回答した。最も裏づけられる結論は、具体的起源不明の加熱された地球由来の鋳鉄であり、認証済みUFO破片ではない。United StatesGrade C / DISPUTEDケネス・アーノルド目撃事件(1947年)1947年6月24日の飛行は、よく記録された報告であって機体の実証ではない。アーノルドはCallAir A-2で行方不明の海兵隊輸送機を捜す迂回中、反射し尾翼がないように見える9物体がレーニア山からアダムズ山方向へ進むのを見たと述べた。区間を計時し、地標と距離の推定から異常な速度を算出した。7月の供述と図は陸軍航空軍資料に入り、新聞は複数の皿の比喩を「空飛ぶ円盤」に凝縮した。写真、レーダー、物証、同一観測幾何の第二証人は公開されていない。1949年の軍検討は大きさ・速度推定を疑い、既知航空機を可能とした。よってB級UNRESOLVEDであり、歴史的重要性と追跡可能性はあるが異常・非人類機を証明しない。United StatesGrade B / UNRESOLVEDモーリー島事件モーリー島事件は1947年の論争的な物語で、確認済み航空遭遇ではない。Dahlは6月21日、輪状物体6機が船上に浮かび、1機が金属状物質と黒い岩を落としたと述べ、Crismanは後に試料を円盤片かもしれないと売り込んだ。現存FBI資料は、陸軍情報将校William L. DavidsonとFrank M. Brownが7月31日にタコマで両名を聴取したことを確認する。一方、DahlとCrismanが普通の岩石を回収し、飛行円盤の破片だと偽って表現したことを認めたとも記す。数時間後、両将校はケルソ近郊でエンジン・主翼火災を起こしたB-25の事故で死亡した。同じ記録は破壊工作の兆候を否定し、事故を目撃主張の証明としていない。United StatesGrade D / DISPUTEDロサンゼルスの戦いUFO事件ロサンゼルスの戦いは実在した戦時防空緊急事態であり、異星の機体がカリフォルニアを攻撃した証拠ではない。1942年2月25日、レーダー反応と相次ぐ報告の後、対空砲部隊はおよそ03時から04時15分までに約1,400発を発射した。爆弾は落ちず、航空機は撃墜されず、戦後の日本側記録にも空襲はない。当時の当局見解は割れたが、後年の軍公式史は気象観測気球が射撃の引き金となり、煙、照明弾、砲弾爆発が追加の見かけの標的を生んだ可能性が高いとした。灯火管制中の交通事故と心臓発作による民間人5人の死亡が間接的に事件へ帰された。有名な探照灯写真は修整された新聞印刷版であり、光束内に何があったか、そもそも対象があったかを同定できない。United StatesGrade B / EXPLAINED